人と人がつなぐ仕事探し(Milano)アルク「海外で働く2001年度版 オセアニア・ヨーロッパ」掲載

2000年11月11日

 まず何といっても、イタリアではあまり英語が通じない。国中が文化遺産だらけと言う事もあって、学校では歴史ばかり教えて、語学には力が入ってないらしい。それでも、世界に遅れをとるまいとアートディレクターのマウロは必死に英語を勉強しているという噂を聞いた。
 友達の友達の知り合いがマウロの電話番号を、私に教えてくれた。伝統を守ることが得意なこの国には、いわゆるコネ社会というのも、しっかり現存する。とても人と人のつながりを大切にするらしい。友達の友達の知り合いのようなちょっと遠い関係でも、関係が全くないとでは全然違うらしく、「誰々から、あなたのことを聞いて、電話してます」と言ったほうが断然スムーズにいく。
 マウロに電話をした。彼の秘書が電話に出た。私にとって早速の試練なのだが、どうも、この秘書は英語が話せないらしい。マウロは英語を勉強していると言う噂で安心していた私は、いきなりつまずいてしまった。すっかり私は自信をなくしつつ、私はつたないイタリア語で試してみた。
とにかく、イタリアに住むならば、イタリア語ができないと、どうにも動けないのだ。みんな、英語は出来なくて当り前。逆に英語が少しでも話せる人はそれが誇りであり、外国人の私を見ると嬉しくなってしまい、ここぞとばかりに話しかけてくるくらいだ。
 あと、イタリア人はとにかく話すのが好き。何となく、お互い気が合いそうだと思えば、とにかく話す事が要求される。
 しようがないので、私もイタリア語を勉強した。数ヵ月で、なんとか言わなくてはならない事くらいは言えるようになった。英語よりは簡単だと思う。音がとてもクリアーだからだろうか。日本語の様に母音が必ずつくし、カタカナっぽく発音しても、まず通じる。
 しかし、イタリア語の単語力不足で、どうしてもどう言っていいか分からない時は英語で叫んでみる。これは私の最終手段なのだが、結構通じる。英語もラテン語が起源の言葉がたくさんあるので、似ている言葉がたくさんあるらしい。
 電話でも、その秘書に、とにかくマウロの名を叫び、無事彼とアポイントメント(ちなみにイタリア語ではアプンタメント)をとり、その出版社があるミラノ郊外に行ってきた。出版社が街の中にないのにちょっと驚いた。貴族の屋敷のように、木に囲まれた大きな敷地に社屋があった。イタリアでの出版業というのは、なにか貴族的な特権階級の雰囲気があるのかもしれない。
 マウロはファッション雑誌のアートディレクターをやっている。なかなかの紳士で一生懸命英語を使っていた。
 彼が持つ時代の空気と私のセンスのタイミングがあえば、いつかそのうち可能性も無い訳ではないような感触があった。
先日は友達のサラからの電話が鳴った。グラフィックデザイナーの彼女は、私の事をボスに話していたらしく、CDカバーの写真の企画に一応、私の名前をあげてくれたらしい。
 どうにか、仕事を始めたい。なんてったって、今、私はこの街で何の信用もない。でも、友達が友達を呼び、こうして人に出会っていけば、そのうち面白いことが出来そうだ。
 友達の誕生日パーティーで、また、マウロに会った。新しい写真があったら、また見てくれると言う。  この国は人と人との距離が近い感じがする。まだ友達も多くはない私だがそんなに寂しくもない。いつも、誰かが近くにいる。この距離感が心地よいと思える限りは、ここに住み続けるのかもしれない。




仁木岳彦 フォトグラファー。上智大学新聞学科卒業後、ニューヨークに渡る。イタリアのアパレルメーカーのカタログ、CDのカバー、文庫本の表紙などをてがける。 2000年春、ミラノに居を移し、今、仕事探し中。http://www.geocities.com/nikitakehiko



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